2020年7月18日 (土)

バンクシー消される【時事・アート】

今週「バンクシー消される」という事件が話題になっていました(20年7月16日)。

【バンクシー新作、消される 地下鉄は落書き禁止】
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071600211&g=int

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バンクシーが消されるということが物議をかもす、ということ自体が、アートというものの理解が「多様」なのだなと思い、少し解説したいと思いました。

バンクシーという人は、おそらく英国の、おそらくというのは正体不明だからですが、英国のアーチストです。
路上の塀などにイラストを描くという活動をしています。

彼の絵は、オークションなどで高値を付けるなど、世俗的にも評価が高く、先だって小池都知事がネズミの絵と並んだ写真を撮って「バンクシーかも」とtweetして物議をかもしたりしました。

そのせいもあって、絵が消されたことに議論が起こったのでしょう。
「価値のあるアートを消すなんて」という意見と「路上に描いているのだから落書きだ。消されて当然」という意見のぶつかり合いですね。


私の思いとしては「バンクシーのアートはパフォーマンスアートなので、お家に帰るまでが遠足であるように、消されるまでがアートです。最後まで気を抜かずに、しっかり消しましょう」というものです。


「パフォーマンス」というのは、1950年代から1960年代にかけアラン・カプローが展開した芸術活動です。
「ハプニング」ともいいます。
ここには、アートの本質は何か、という問いかけがあります。


アートというと、絵画や彫刻のような作られた「モノ」をイメージするのが一般的かと思います。
だからこそ、画廊で絵が売られ、絵が財産として企業の金庫の中で眠っていたりするのです。


カプローたちは、ざっくりというと、「アートの本質はモノではなく、観た人の心の動きにあるのではないか」と問いかけたのです。

この問いを先鋭化するために、壁に水で絵を描いたりします。
消えて残らないということが重要なメッセージなのです。

カプローの取り組みの商業化された「なれ果て」が、ディズニーランドで、清掃員が箒で絵を描くカストーディアルアートになります。
400_20200718101701

多くの人は、絵画という芸術で、絵そのものより感動体験の側に価値を見出すというう考えには違和感を感じると思います。


そこで、補助線を引きます。
音楽をイメージしてみてください。

音楽の感動は、楽譜を読むことにあるのでしょうか?
楽譜を見て感動できるという人は、かなり訓練された変態だけでしょう。
(演奏家や作曲家は、楽譜を読んで音をイメージできるので楽譜で楽しめますが)

芸術の本質は、モノとは言い切れないといことがわかるかと思います。

この「パフォーマンス」に対しては、「それは演劇であって、絵画・彫刻の文脈で語るべきではない」という批判があります。
そりゃそうだ。


さて、バンクシーですが、文脈的には、この60年代のカプローのリバイバルなので、残すことに意味はないのです。

とはいえ、そこにバンクシーの絵があれば、観光客の誘致にもつながるので、世俗的には保存したくなるでしょうけど・・・


さて、最後に、音楽の価値について、少し、補足しておきたいと思います。

現在、音楽の権利は著作権で保護されています。
基本的に作詞家、作曲家の保護が手厚く、演奏家は「使わせていただく」という形になっています。

この表れが「JASRAC対ヤマハ音楽教室」裁判です。
これは、ヤマハ音楽教室で、講師が生徒の指導をしている行為(特に模範演奏)は、著作権法上の「公演」にあたるとして、JASRACがヤマハに著作権使用料を求めたものです。

JASRAC自体は、作詞家・作曲家の権利を代行する組織ですので、仕事をしているだけなので、JASRAC批判をする気はありません。

私が感じる違和感は、音楽の感動体験における演奏家の役割は大きい中、演奏家を目指す人に、今の法制は冷淡だな、ということです。
(演奏家にプロもアマもなく、目指す人に子供も大人もない)

音楽は、演奏されて完成するもの。
もう少し、バランスの良い法制度にできないのかと感じました。

2020年5月 9日 (土)

ガルパンの軍歌 BC自由学園の「玉ねぎの歌(クラリネットをこわしちゃった)」のサビ

蔦屋のレンタルを申し込んでいた「ガールズ&パンツァー 最終章 第二話」が届いたのでし、今更ながら視聴。
 
「ガールズ&パンツァー」というのは、戦車道という戦車を使ったスポーツ競技がある架空の日本を舞台にしたスポコンもののアニメです。 
 
主人公チームの対戦相手は、第二次世界大戦の戦車大国を模したチームで、「最終章 第二話」の相手は、BC自由学園、要するに、ナチに陥落した後、南フランスで新ナチ政権として存続したヴィシー・フランスと、ロンドンに亡命したド・ゴールが率いた反ナチ政権の自由フランスの合体ですね。
 
で、このアニメ、対戦チームの進撃に合わせて。その国のメジャーな軍歌が歌われるのが一つの見せ場なのですが、今回はフランスということで「玉ねぎの歌」。
ナポレオン軍の軍歌です。
 
といっても、むしろ日本人は、その替え歌の「クラリネットをこわしちゃった」の方がなじみがあるかと思います。
ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない、アレです。
 
この曲のサビ「オーパッキャマラードーパッキャマラードーパオパオパパパ」って、おそらく般若心経の「ギューテーギョーテー」なみに意味を考えずに歌っている人が多いと思います。
というか「オーパッキャマラードー」とすら意識せずに「パッパラパー」ぐらいに思ってませんか?
 
実は、このサビ、軍歌だけあって、結構かっこいい内容なんです。
意訳すると「進もう戦友よ 進もう」となります。
 
まあ、曲自体は「揚げた玉ねぎは旨いから、オーストリア人には食わせねぇぜ」という勇ましいのか、コミカルなのかわからん曲ですが・・・
 
以上、五か国語できるおっさんのフランス語講座でした。

2018年12月 6日 (木)

【読書メモ】テンプル騎士団(集英社新書) [佐藤 賢一(著)]

フランス史に強い作家である佐藤賢一氏が書いたテンプル騎士団の発生から滅亡の軌跡。
物語小説ではなく、講談社現代新書で出ていた「カペー朝」「ヴァロワ朝」や集英社新書の「英仏百年戦争」と同じ歴史解説書になる。

正直、テンプル騎士団そのものへの興味というより、実績のある佐藤氏なら読み応えのある本だろうと思い手にとった。
期待は裏切らない出来。

テンプル騎士団が、十字軍で獲得したエルサレムへの巡礼路を守るために二人の貧乏騎士がボランティアで始めたものだということ、エルサレム神殿(テンプル)に宿舎をもらったからテンプル騎士団になったということ、騎士団というものは十字軍まではなく、修道院の組織を真似ながらテンプル騎士団が雛形を作った実に宗教色が強いものだということ、といったあたりは新鮮な知識。

また、テンプル騎士団が発展する中で、西欧から軍事物資を運ぶロジスティックのシステムが確立し、テンプル騎士団は運送業・貿易業・旅行業・為替銀行と発展、ついにフランスの、いやむしろ欧州の中央銀行的な地位に上り、国家さえ凌駕しつつあったというのは迫力がある。

最終的には、中東での十字軍が失敗し、歴史的使命を終えたテンプル騎士団は、ジョブチェンジに失敗し、というより自分たちの仕事がなくなったと気が付かず、孤立し滅亡する。
ビジネス環境の変化に適応できず潰れていく名門大企業を思わせ参考になる。

現代文化の面で面白かったのは、テンプル騎士団がスターウォーズのジェダイ騎士団のモデルではないかという考察。
これはあたっているのではないだろうか。
スターウォーズをパクった、もとい、インスパイヤーしたアニメ作品「エルガイム」(後に、永野護氏によりF.S.Sとして換骨奪胎されマンガ化)では、敵役の軍隊として、その名もテンプルナイツが出てくる。
ビジュアルイメージも、白マントに赤十字と同じ。

スターウォーズのジェダイ騎士は日本の「時代劇」から来ていると言われるが、それをパク、ではなくインスパイヤーしたエルガイムが騎士団のイメージをむしろ原型に戻したというのは、東西の文化交流として面白い。

     

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