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2020年8月18日 (火)

神様ドォルズ【アニメレビュー】

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今日のアニメレビューを始めますどすえ。

今回取り上げるのは『神様ドォルズ』。
2011年放映の作品で、原作は「やまむらはじめ」さんが、『月刊サンデージェネックス』で2007年から連載した作品です。

田舎から都会に出てきた過去のある大学青年「枸雅匡平(くが きょうへい)」が、故郷の因習から逃れられずにトラブルに巻き込まれていく話で、一番のカラクリは「案山子」というロボットです。

空守村という村に伝わる鎮守の神様の力を宿した木製のロボットで、「隻」と呼ばれるシャーマンのみが操ることができるという設定です。
この神道的なロボという設定は個性があってうまいですね。

おそらく、この案山子は、日本の古代宗教における宿り木ですね。
日本の神様の依り代というのは、村の中にそびえる木なのですが、この「よりしろ」を屋根で囲ったものを「やしろ(社)」というわけです。
なぜ「木」かというと、日本の神様は「柱」だからです。
この神様は普段は村にはいないのですが、客神としてやってきて一時的に木に泊まるわけです。まあ、マレビトなわけです。
(なお都会の一般家庭にも年初には神さまがくるので門松を立てて宿ってもらいます)

さて、主人公の匡平は、村でも最有力の隻だったのですが、村で起こった猟奇事件を機に、村に嫌気がさして、隻の地位を妹に押し付けて都会に出たわけです。

その猟奇事件を起こしたのが、枸雅 阿幾(くが あき)です。
苗字が同じなのは兄弟だからではなく、田舎の支配者一族同士だからですので、誤解なきように。

物語は、安楽に大学生活を送っている匡平の前に、村の座敷牢に幽閉されていたはずの阿幾が現れるところから始まります。
阿幾も、もちろん案山子使いの隻なので、お話は双方の案山子が激突するバトルものになるわけです。
ただ、本作では、匡平は、隻を降りているので、妹の詩緒(うたお)ちゃんが前面に立つのですが・・・(キービジュアルも詩緒ちゃん推しです)

この詩緒の愛らしさも、本作の魅力です。
なにせ、このころは空前の萌えブームなので、こういう小さな女の子なしに商品は成立しません。

おそらく、この作品の映像化権を取ったプロデューサーは狂喜乱舞し、監督や脚本家は勝利を確信したでしょう。
個性的な設定、魅力的なキャラ、原作通りにきちっと作ればヒット間違いなしです。しかし、まあ、結局は主題歌どおり、不完全燃焼な内容になってしまいました。
(本作の主題歌は「不完全燃焼」。良い曲なので、結構バズりました)

原作8巻で話も中盤の段階でアニメ化しており、スタッフは、まずは前編として本作を作って、そのヒットを受けて二期で完結させるつもりだったようですが、完結してない作品なので売れ行きが悪く、二期はお蔵入りになりました。

そんな本作ですが、その位置づけを簡単にいえば『八墓村』が『のんのん村(のんのんびより)』になる通過点のような作品です。

『八墓村』は、田舎という前近代に、探偵の合理的・科学的推理という近代の光を当てることで、前近代を解消して近代に塗り替える話です。
結末はご丁寧にも、都会育ちの主人公が、故郷の八墓村にコンクリート工場という、戦後復興と産業化、つまり近代化の象徴を建築し、八墓村の前近代が克服されるというものです。
これが、1971年、三島が死んだ直後の日本のモードです。
イデオロギー闘争が生活主義に敗北し、日本という国が経済第一に突き進む時代ですね。

『のんのんびより』は、主人公である4人の少女が、ただ田舎ぐらしをする話です。
これは産業社会が挫折したバブル崩壊後、ゼロ年代(2000-2010年)に、バトルロワイアルとセカイ系にヒキコモリ、いよいよ疲れ果てて退行した10年代の日常系と美少女動物園のモードです。
近代に疲れ果てたので、葛藤も因習もない理想の前近代を作ってみたということですが、現実はそこまで単純ではないのでね。
(癒しという意味ではよい作品です。私も5周くらいローテーションで観てます。これと「私に天使が舞い降りた!」があれば、この先も生きていけると思います)

なんにせよ。ポスト八墓村時代の僕らは、近代の蹉跌も知っており、その克服の可能性を前近代に感じているわけです。だから少女になって、のんのん村に帰りたいというモードも生まれているわけですね。

「八墓村」の猟奇殺人に幕を開けた本作『神様ドォルズ』では、主人公は、その田舎の前近代から遁走します。
しかし、前近代は、決して彼を、つまり僕たちを許してはくれません。
阿幾の脱走と、主人公への襲撃は、阿幾の姿を取った前近代の闇の来襲です。

となると、この物語は、阿幾という前近代と向き合い、乗り越え、場合によっては阿幾という前近代を受容した先にある成長が描かれないと、視聴者は到底満足できませんね。

ところが不思議なことに、序盤、主人公の前に姿を見せた阿幾は、中盤以降、急速に存在感をなくし、話は、匡平に片思いする美少女隻の「まひる」による匡平ストーキング話に脱線していくのです。

いやまあ、まひるちゃんは可愛いですよ。
声優も棒演技が魅力の花澤香菜さんです。
なんと、本作「まひる」では花澤さんは、従来の棒演技に加えて、切れ演技を身に着けていました。
何というか、時速130キロくらいの棒球ストレートしか投げられなかったピッチャーが、あまり曲がらないスライダーを身に着けたみたいで、その成長には驚かされました。
(花澤さんは個性が光る素晴らしい声優さんです)

こうしたキャラの魅力はよく表現できている本作ですが、匡平と阿幾の決戦が描かれず、それは、僕らが近代と前近代に、どう折り合いをつけるかという問いにも応えられないという点で、結局、一つの作品としての最終評価ができないというのが本音です。

つまるところ「八墓村」的サスペンスが始まったかと思ったら、美少女萌えアニメに着地していたということです。それは近代の超克よりも癒しを求める時代の要請だったのかもしれません。

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