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2020年8月15日 (土)

グランベルム【アニメレビュー】

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さて今日は、19年の夏アニメ『グランベルム』です。
ちょうど一年前の放映です。

魔法少女がロボットに乗ってバトルロワイアルを勝ち抜くという、『魔法少女まどか☆マギカ』にロボットが出てきたら、カレーにハンバーグが乗ってるみたいでゴージャスじゃん、という志の高い作品ですね。

物語は冒頭、平凡な少女、小日向満月(こひなた まんげつ)が放課後の学校で、異世界に変貌した学校に取り残され、そこで魔法少女が操るロボットの決闘に巻き込まれます。
『まどか』における「鹿目まどか」の立ち位置です。
悪役っぽい魔法少女たちに追い詰められた満月を、ほむらっぽいルックスの新月・エルネスタ・深海(しんげつ エルネスタ ふかみ)が助けます。
エルネスタの説明によると、1000年前、世界は魔法に満ちていたけども、当時の魔法使いが魔法を「マギアコナコス」(おそらくは決闘の舞台になっている異界)に封じ込めたとのこと。
エルネスタたちは、数十年に一度、魔術師の子孫たちによって行われる「グランベルム」というバトルロワイアルに勝ち残ることで、「マギアコナトス」にある魔力すべてを手に入れることを目的に戦っているとのこと。
今回の「グランベルム」も佳境に入っているのだけど、なぜか途中出場の権利を得てしまった満月も、特に明確な目標もないまま、「グランベルム」に参加します。

ここまでの書きっぷりから、私が『グランベルム』を評価していないと誤解している人もいるかもしれませんが、そうではありません。
なんというか、もう少しチューニングを行えば10年代を締めくくる名作になっただろうに惜しいなと残念に思っているのです。

何と言っても、美しい美術と感情を揺さぶる演出は絶品で、それだけでも見る価値はあります。
特に、11話終盤、最終決戦に臨む新月ちゃんと満月ちゃんの前、琵琶湖の向こうから赤く巨大な月が昇るシーンは、劇場作品級の圧巻です。
もう、このシーンだけでおなかいっぱいです。ごちそうさまでした。

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キャラクターも魅力的で、新月の幼馴染で新月の才能に嫉妬する魔術師アンナ・フーゴの狂いっぷりは、「全てをかけたストーキングと言う名のライフワーク」というキャッチコピーに結実しています。


さて、本作のポイントは「コナトス(コナトゥス)」です。
マギアコナトスは1000年続く魔力の結晶ですが、本来のコナトゥスは人類史2500年を経て探求が続く、世界の真理のことです。

長い年月で意味は変容してきましたが、簡単にいえば「自己保存力」のこと。
「在るものが、あるべきようになる力」と思えば良いかと思います。

例えば、土に蒔かれた種は、芽を吹き、茎をのばして、葉を張り、花を咲かせる。
種の中に花は入っていないが、何かの力で花になる。
木から切り離されたリンゴは、必ず地面へと落ち、地面で止まる。

こうした事象には「コナトゥス」が働いていると考えられたわけです。

このコナトゥスは、情報においては、情報の自己展開(自己組織化)として働き、人間の内面では「意志」や「自我」にかかわると考えれれてきました。

例えば、ホッブズは感情が集積することで「生きる意志」としてコナトゥスが形成されると考え、この流れを受けながら、ショーペンハウエルはコナトゥスを「権力への意思」と読み替えました。

これをさらに脱構築するのがニーチェで、ニーチェは「権力への意思」という用語を権力を求めるものでも、富を求めるものでもなく、意思ですらないと位置づけます。
つまり、「ただ生きたい」という純粋な生存本能が「権力への意思=コナトゥス」で、これは教育や文化で押さえつけられていると考えたわけです。
この考え方から、「理性を取り除き野生がむき出しになると強い」というイメージが生まれ、エヴァンゲリオンの暴走やビーストモードを生むわけです。

さて、ニーチェにおいて、コナトゥスは意思なき力となり、コナトゥスの世界形成力は、誰かの意志によって方向づけられる必要が出てきます。
コナトゥス自身は、何者にもなれるが何者にもなれないからです。
(この力の方向をアドルフ君が方向づけるとナチズムになるのです)

コナトゥスが、自らの世界形成力の方向を定める主人を求めて、人間にバトルロワイアルを強いるというモチーフで、近年成功している作品があります。
それは『真・女神転生III-NOCTURNE』というゲームで、東京受胎というカタストロフィで、東京が内に閉じた卵世界になり、その中心に輝くカグツチが、次に生まれる世界のありようの決定を複数の人間にゆだね、勝ち残ったものが、世界の創生者になるという物語です。
この世界のありようを「コトワリ」といい、「コトワリ」は人間にしか生み出せないというのが面白いですね。
世界の方向性には自我(エゴ)が必要ということなのでしょう。


さて、本作『グランベルム』ですが、コナトゥスというせっかくの舞台装置を用意しながら、物語の主軸は、グランベルム参加者の個人の事情の解決にとどまってしまいました。ゼロ年代モードのセカイ系の枠内にとどまったのは残念です。

できることなら、卑近な個人的事情から始まった戦いから世界的意義を見出し、創生の力と関わっていくような展開があれば10年代を締めくくるのにふさわしかったのに。

まあ、私が言いたいのは、10月末発売の『真・女神転生III NOCTURNE HD REMASTER』が楽しみで仕方ないということだけです。

 



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