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2020年6月19日 (金)

輪るピングドラム【アニメレビュー】

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今回のアニメレビューは「輪るピングドラム」(まわるぴんぐどらむ)です。
「輪るピングドラム」は2011年の7月から放映されました。

2011年の3月は東日本大震災とフクシマという2つの災害が複合的に起こった重要な年ですね。
ちょうどこのころ放映していた「魔法少女まどか☆マギカ」が、アニメ史的な大ヒットを記録したため、「輪るピングドラム」は陰に隠れる形になりましたが、当時の話題性を含めて、結構なヒットを記録しています。

あらすじは、こんな感じ。

荻窪の掘立小屋のような家に住む三人兄弟、二人は高校生男子「高倉冠葉(かんば)」と「高倉晶馬(しょうま)」、もう一人はおそらくは中学生の少女「高倉陽毬(ひまり)」。
陽毬は、余命いくばくもない病気で、一時的に帰宅していた。
3人で水族館に出かけたところ、陽毬が倒れ、そのまま命を失う。
兄弟が悲しみに暮れていると、突如、陽毬が起き上がり、「生存戦略」と叫ぶと、3人はイリュージョンの世界に迷い込む。
陽毬はプリンセス・オブ・ザ・クリスタルを名乗り、陽毬の命を救いたければ、「ピングドラム」なるものを手に入れろ、と二人に命じる。


この序盤10分程度の話だけで、相当な情報量ですね。

この「輪るピングドラム」を語るのは、相当に骨が折れます。
重層的な複数のテーマが、同時進行的に層をなして進行しているため、どの層に意識を向けるかで、観た人の感じ方が変わるからです。

第一層は、病弱ヒロインをめぐるラブストーリーです。
ゼロ年代のエモい「セカチュー」的なお話ですね。

その真下に、親(社会)に捨てられた者が、再生するという90年代的な承認欲求をめぐる物語があり、第三層に・・・

第三層以降が問題なのです。

タイトル画面を見ると「輪るピングドラム」というタイトルの下に、ピクトグラムで地下鉄の駅マークのような円の中に「95」という数字が書かれています。

この95は95年を、円と隣の電車マークは地下鉄を・・・つまり、オウムのテロ事件をテーマにすると宣言しているのです。

そして、この重いテーマを扱うがために、最下層に「不条理な世界で人はどう生きるのか(本当の幸せとは)」という極大のテーマを扱うことになります。

さて、そうとは言え、11年に放映し、95年の事件を扱うアニメを20年にレビューする意味は何か?ということも問われるでしょう。
その理由は、コロナにより、11年に95年を扱ったアニメが、現代的意味を持つと考えたからです。

ピングドラムのロゴを、もう一度よく見てみると現実の丸の内線とは、微妙に違うことに気が付きます。
現実の丸の内線は、駅番号を真円で包んでいるのですが、ピングドラムの円は、矢印であり、回転を示しています。
95年が繰り返すという意味にも取れます。

私は、この作品から、不条理が、95年の震災とサリン、11年の震災と原発事故、20年のコロナとロックダウンといった形で繰り返されており、95年の不条理を描く本作は、今日的意味を持つと感じました。

このモチーフを描くにあたって、監督にして原作者の幾原邦彦さんは、村上春樹の「かえるくん、東京を救う」を取り上げています。

9話で水族館で死に瀕した陽毬が経験した幻想体験を、回想の形で描きます。
サンシャインビル(水族館がサンシャインにある)の地下61階にある「中央図書館 そらの孔分室」に迷い込んだ陽毬が「かえるくん、東京を救う」を探して彷徨うというものです。

「かえるくん、東京を救う」は1999年に村上春樹が、震災とオウムをテーマに書いた連作『神の子どもたちはみな踊る』に収録されている短編です。


「かえるくん、東京を救う」という話は、こういう話です。

ある日、主人公の片桐(銀行の不良債権処理をしてる)がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙(かえるくん)が待っていた。
かえるくんは、3日後の2月18日に地震が東京を襲い、それに伴う死者はおおよそ15万人になる、その原因は、地下にこもって、世界の憎悪を吸収して巨大化し、思考することもなくただ怒っている「みみずくん」だと、そのみみずくんを退治することを手伝ってほしいという。
片桐はみみずくん退治に向かうが、途中で不良債権の回収先の人間からピストルで撃たれ、意識を失う。
病院で意識を取り戻した片桐のもとに、かえるくんが現れ、片桐の協力でみみずくんは退治され、東京は救われたと語る。
その直後、かえるくんの体は急速に腐り始め、かえるくんの全身から噴き出した虫が片桐を襲う。

この小説を、どのように解釈すべきかは各人の自由なのですが、私は、地震で呼び覚まされ憎しみから地震を起こす「みみずくん」は、天災を契機に人災が引き起こされることを暗示しているように思います。

これと「輪るピングドラム」の回転する95のピクトグラムを見て、95年は地震とテロ(憎しみ)という形で、11年は地震と原発事故(傲慢さ)、20年は病気とロックダウン(恐怖)という形で、天災と人災という不条理が、繰り返し人類を襲っていると感じました。


この不条理な世界で、テロのような憎しみや、技術の妄信という傲慢や、目に見えない恐怖に向き合いながら、どのように生きるべきかという問いに、本作「輪るピングドラム」では、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をヒントにしています。


幾原邦彦さんは、優れた洞察で「銀河鉄道の夜」の神髄を端的に示しています。
物語の冒頭で、二人の小学生が、主人公の家の前を通りながら語るという形で・・・


小学生A「だからさ苹果(りんご)は宇宙そのものなんだよ。手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
小学生B「あっちの世界?」
小学生A「カンパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
小学生B「それと林檎(りんご)になんの関係があるんだ?」
小学生A「つまり、苹果(りんご)は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
小学生B「でも、死んだら全部おしまいじゃん。」
小学生A「おしまいじゃないよ!むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
小学生B「わかんねえよ。」
小学生A「愛の話なんだよ。なんで分かんないのかなぁ?」

宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で掲げた社会へのメッセージは「自己犠牲による他者救済」こそが、人が生きるに値する価値というものです。
賢治は法華経を通じた大乗仏教に日本社会の理想を見たということですね。


この賢治の理想は美しく、共感する部分も多いのですが、私たちは「自己犠牲による他者救済」という美しい精神が、国家権力に利用され、特攻という最悪な形に至ったことを知っています。
だから、それを文字通りの解決とはできません。

幾原邦彦さんも、そのあたりには無頓着ではいられないのでしょう。
最新作の「さらざんまい」では、主人公の一人に、自分を自己犠牲で救おうとする友人に向かって「自己犠牲なんてダセえ真似すんな」言わせています。

エゴを捨てることも、エゴを捨てないことも、どちらも大切で、簡単に一方にのめりこむべきではないということでしょうか。


「輪るピングドラム」自体がエンタメとしても、文学としても豊かなものですが、考え続ける幾原邦彦さんの次作も楽しみです。

 

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