ウェブの進化の果てに-ロングテールがもたらすモノ
官僚さんのHPで、ロングテールの話をしていたので、少し……
官僚さんは、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」を引用しています。
> そこに圧倒的な技術革新が起きたために、局面は一気に動いた。
> 「何かを表現したって誰にも届かない」という諦観は、「何か
> を表現すれば、それを必要とする誰かにきっと届くはず」とい
> う希望に変わろうとしている。
で、官僚さんのコメントは、
> この観察が正しいなら‐そしてwebmasterは正しいと考えて
> います‐、本書の未来予測のうち1つは正しく当たっていて、
> もう1つはまったく外れています。
外れているというのは、「ウェブ進化論」が正しくても、「総表現社会にはならない」ということだそうです。
詳しくは官僚さんのHPを見て頂くのが、誤解がないでしょう。
まあ、ボクは、べつに官僚さんと相対立する話をしたくて、このエントリーを書いているのではないのです(だとすれば、コメントを投げます)。
ボクは、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」の引用を読んで、こう思ったのです。
> ロングテールで弱小サイトに光が当たって、それが何になるのだろうか?
> 確かに「誰か」が、ボクを必要とするかもしれない。
> だけど、その「誰か」は、ボクが求めて止まない、あの「誰か」ではない。
ロングテールで繋がってみても、結局、求め合う人とは出会わず、人は根本的に孤独なのではないか?
技術の果てには「希望」があるのではなく、どうあっても絶対的に孤独な自分に出会う「絶望」があるのではないか?
そこんとこハッキリしてください!>エライ人
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