2022年1月 1日 (土)

【自動車の250年史】第1話 自動車の黎明 

 ◆"自動車"の発明
自動車の歴史をいつから始めるのか、自動車の定義と相まって難しい問題です。
以前はガソリンエンジンこと内燃機関の発明を最初とすればよかったのですが、電気自動車(BEV)が脚光を浴び、内燃機関車をICE(Internal Combustion Engine)と呼んだりする時代に入り、もう少し幅広く見てみてもいいかと思います。

となると、人類が体系的に人工の動力を得た蒸気機関の発明が、自動車のスタートになるでしょう。
実用的な蒸気機関は、1712年のニューコメンによる炭鉱の排水ポンプ用蒸気機関です。この機関を乗り物に応用したいという情熱はあったようですね。
この蒸気動力による乗り物は、1802年にトレビシックの蒸気機関車として、1807年にロバート・フルトンの蒸気船として実用化されていきます。

自動車を、レールのない陸上のタイヤのついた乗り物と考えるなら、実は鉄道に先立つ1769年にフランス軍が大砲を引く動力としてキュニョーの砲車を開発しています。フランスの主張としては、少しは動いたようです。まあ、すぐに横転したりと実用性は乏しかったようです。

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キュニョーの砲車

実のところ、自動車の黎明期では、自動車の動力の本命は、この蒸気機関と電気モーター、そして内燃機関で相争うことになります。


◆"自動車"の本命争い
自動車の本命争いも、当然、蒸気機関がリードします。
なにせ、1712年には実用化も成った人類が大自然を乗り越えた産業革命の象徴です。これに追いすがるのが、内燃機関……ではなく、EVです。

1827年に電気モーターが、原理もわからず、ただ動くと発明され、早速に電動車は作られていきます。

この時代、産業革命で先行する英仏は蒸気機関を、それを追う米独はEVを重視していきます。だから、内燃機関車の黎明期をリードするベンツもポルシェもフォードも、電気技師からキャリアをスタートさせるのです。
EVは静かでガソリンのにおいもなく、操作も簡単です。なにせエンジンよりはるかに単純な仕組みですから、
とはいえ、EVは、発電所や電力網がなければ使い物になりません。今でも同じですが、航続距離も短すぎます。内燃機関エンジンがイグニッションで始動できるようになり、様々に操縦が簡単になると内燃機関が選ばれるようになります。
まあ、石油を売りたい人もいましたしね。

◆イギリスの不条理
英仏の蒸気機関自動車ですが、これはフランスがリードします。
イギリスは産業革命をリードしたがために、反機械の機運が高く、労働者保護のため自動車の規制を強めたからです。

赤旗法というナンセンスな法律があります。

簡単に言えば、自動車の前に先導する人が赤旗をもって歩かないといけないというもので、自動車の速度という魅力を、まったく無駄にするものです。

ですので、今残っている最古の自動車会社はフランスのプジョーだったりします。
1882年の創業です。もちろん蒸気自動車の会社です。
この時代、フランスを代表するカー・メーカーとしては、ド・ディオン・ブートン社もあります。

蒸気自動車がガソリン車に及ばない点は、水を使うこととボイラーという面倒な装置を扱うことです。上下水道などインフラの整った場所でないと使えないのです。しかも、運転手のほかにボイラー技士を載せる必要があります。ボイラーは大きいですしね。

ともあれ、自動車は、その実用化に向けて本命の内燃機関が登場を待つことになります。



年表:自動車の黎明期
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2021年10月20日 (水)

閃光のハサウェイ【アニメレビュー】



アニメ映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(以下『ハサウェイ』)は、1989年、まさにバブルと昭和と冷戦が終わるころに、ガンダムの生みの親である富野由悠季さんが発表した小説を、2018年に映画化を始め、なんやかんやで21年に公開された作品です。
つまり、30年前の小説の映像化ですね。

正直、古くからのファンの中には「あれを映像化しても、まったく、ちっとも面白くないぞ」と思っていた人も多かったと思います。
それが意外にもガンダム映画としては、大ヒットといえる興行収入20億円を超えるヒットになりました。
エリートの息子がテロリストになって自滅するという話でエンタメとして成立していなかったのですが、意外な健闘ですね。

コロナで他に娯楽がなかったなど、いろいろな要因があるかと思いますが、ISISやタリバンなどテロが身近になり、温暖化など環境問題が切実になったことで、現代人にとってテーマがリアルになったのかもしれませんね・・・と言うとそれっぽいですが、実は逆です。

富野が書いた『ハサウェイ』は「赤軍の子供たち」の話です。
つまり、ガンダムでニュータイプという、ヒッピーでラブ&ピースでフラワーチルドレンな救済を描いたけど、学生運動では世界は変わらず、Ζガンダムでは学生運動ブントの抗争を描き、赤軍派ネオジオンはあさま山荘(アクシズ)で自滅して、三島由紀夫(シャア)は市ヶ谷で誰にも理解されず死んでいった。

そんな敗北の後、世の中はバブルとラブコメブームで恋愛至上主義と消費社会に移行し、しらけ世代が「政治、だっせぇ」といっているときに、バブルの狂乱にも乗ることができなかった、遅れてきた青年がハサウェイです。
だから、彼は元カノのためにも、超絶美人ギギにも情熱をもてない、恋愛不能者として描かれているわけです。

たぶん、ハサウェイの同級生は、毎週末、ポンギにベンベで乗り付けて踊っています。

そんなユーミンで柴門ふみな東京ラブストーリ時代に「俺、三島のことわかりたいんだ」と言っている青年の話は「だっせぇ」し「生々しい」のです。

それが30年を経て、脱臭されて「リアルと感じる」程度には、遠い話になったということでしょう。(それと、現在がバブルの恋愛資本主義が破滅した時代という世相もある)

おっと、もう40行……導入が長くなってますね。巻いていきます。


私は『ハサウェイ』が最初三部作で公開と聞いたとき、話がぶつ切りになって、映画として駄作にしかならないと思ったのですが、意外とよかったです。
不条理カルト映画として見ると、話がちょん切られているというのもアリです。

この映画をカルト映画として見るなら、鬱気質の青年が、不条理を人生に感じ、恋愛にもテロルにも、本当の意味では情熱を感じないが、パイロットとして大空を駆け巡る時だけ開放感を感じられる、という話で、ええ話でした(涙)。


そんなハサウェイの敵ですが、軍隊の名前が「キルケー隊」といい、フラッグシップのロボットの名前は「ペーネロペー」といいます。
キルケーもペーネロペーも、オデッセウスという、広義でのギリシア神話に出てくる英雄の妻です。
ペーネロペーは、オデッセウスが戦争に行っている間、国と操を守った女性で西洋では純潔の象徴、キルケーは、オデッセウスの現地妻です。
オデッセウスの方は操を守ってないんですよね。まったく、男ってやつは……

正直、ペーネロペーやキルケーのエピソードが『ハサウェイ』の物語の何かを象徴しいる感じはありません。
「唐突なギリシア神話、なぜだろう」という感じですが、多分、宮崎駿への当てつけですね。

宮崎駿は『風の谷のナウシカ』を赤字ながら当てて巨匠あつかい。
これが許せなかったのでしょう。
「俺だって、ギリシア神話知ってるもん」とペーネロペーとキルケーを引っ張り出してきたんでしょう。

え?ナウシカは、宮崎駿のオリジナル漫画ですよって?
いや、ギリシア神話でしょう。

オデッセウスの冒険を描いたギリシア神話『オデュッセイア』に出てくる、オデッセウスが風で筏が吹き飛ばされて漂着する島の王女がナウシカアーです。

富野さん「宮崎がナウシカアーなら、俺はペーネロペーとキルケーだ」と。


さて、そういうわけで、『オデュッセイア』です。
英語では『ユリシーズ』ですね。

これは、小国の王、オデッセウスがトロイ戦争という、くそ下らない戦争に巻き込まれて、「もう木馬に化けて潜入しようぜ」とか言い出すところから始まる話です。


トロイ戦争が、どれだけくだらないかというと、始まりは結婚式に呼ばれなかったお局さん、女神エリスが「弟のアレスは呼んで、私は呼ばないとは許すまじ」と復讐することが発端です。

エリス……そういうとこやで。

で、エリスが、どんな嫌がらせをするかというと、結婚式の会場に「最も美しい女神へ」と書いたリンゴを放り込むのです。

世の女性は、一人の例外もなく自分が一番美しいと心から信じているので、さあ大変。
まあ、とりあえず、最終的には、女子グループの3TOP、ヘラ、アテナ、アフロディテの争いになります。
こういう女子の争いが起きたとき、男子は決して関わってはいけません。
しかし、うかつにもトロイの王子パリスが審判になってしまいます。

アホやなパリス。

で、自民党の総裁選のように賄賂合戦の開始です。
アフロディテがパリスに「この世で一番美しい女をやる」と言って総裁の地位を確保します。

「ということは、アフロディテがパリスの妻に?」と思いきや、パリスはヘレネーという女性を所望します。
いいのか、アフロディテ?

問題はヘレネーはすでに人妻だったということ。
そこは大国トロイの威圧力と女神の権威で押し切ります。
ミュケナイ国の王子の妻だったヘレネーを強奪。
ついでにスパルタの財宝も強奪です。
いや、別の国ですが……

全方位に敵を作ったトロイは、ギリシア連合軍に攻められるのですが、あまりに大国なので落とせないんですよね。
で、オデッセウスに参戦するよう要求が来るんですが、「そんなくそくだらねぇ戦争嫌や」と……

戦争は、いつも不毛ですね。

 

2021年6月26日 (土)

地球少女アルジェナ【アニメレビュー】

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最近、ESGというものを調べ上げています。
ESGというのは、環境や人権などを重視する経営手法です。

長らく、特に日本では、企業というのはカネを儲けて、株主に配当することが最大の使命という企業観が支配的でした。
最近は、ステークホルダー経営という形で、こうした株主資本主義への修正が加えられる傾向があります。
最近よく聞く「パーパス経営」というのも、パーパスという企業の目標をスローガンに掲げることが本質ではなく、社会をよくするという目的=パーパスが企業の存在意義で、金儲けは、必要不可欠ではあるが、まあ手段であって目的ではないという企業哲学の転換が背景にあります。

このような世の中の価値観の変化を目の当たりにしたとき、2001年に放映され、誰に知られるでもなく爆死したカルトアニメ「地球少女アルジェナ」を思い出しました。

「地球少女アルジェナ」は、「マクロス」や「創聖のアクエリオン」を代表作に持つアニメ作家、河森正治さんが原作・監督を務める作品です。

タイトルの「地球少女」からもわかるように、ジャンルは魔法少女もの。
魔法少女まどか☆マギカ」などと同じジャンルですね。

主人公は、有吉樹奈(ありよし じゅな)。タイトルのアルジュナをもじった名前です。
アルジュナといえば、多くの日本人にはなじみの、ヒンドゥー教の神話「マハーバーラタ」の主人公であるカウラヴァ王国パーンダヴァ派の王子ですね。

え?知らん?
そりゃそうだ。

物語は、この主人公 樹奈が、彼氏とバイクでニケツして、事故って死ぬところから始まります。
臨死体験で病院の集中治療室で自分の死体を眺める樹奈が、クリスという金髪オッドアイの美少年に宇宙に呼び出され、地球は瀕死の状態であること、地球に巣食うラージャという怪獣と戦い、浄化するなら、もう一度命を与えることを告げられます。

いわば「まどか☆マギカ」のキュウベイみたいなもので、僕と契約して魔法少女になってよ、と持ち掛けるわけです。

なお、クリスという名前が、「マハーバーラタ」でアルジュナを導く、ヴィシュヌ神の化身(アバタール)であるクリシュナから取っていることは、日本人ならすぐにピンときますよね?ね?

本作は2001年の作品なので、すんなりと契約した樹奈は生き返り、ラージャが現れる現場に急行します。
そこは、敦賀湾の原子力発電所。
地球環境保護団体SEEDが乗り込み、緊迫した雰囲気に包まれます。

SEEDの女指揮官は、もうすぐ原発事故が起こると所長に告げ、所長は「原発は4重の安全装置があるから、絶対安全だ」と切り返します。
2001年ですから、原発が絶対安全なのは当然ですよね。

そして、主人公そっちのけで、お話は原発の是非論に!
(主人公、原発の中にも入っていません)

結局、ラージャに攻撃され、暴走する原子炉。
どこか遠くにいるお偉いさんは、原発事故により「もしもの時は一千年の都も人の住めぬ死の街となる」と最悪の事態を覚悟します。

原発所長は、所員を全員避難させ、自分一人で、原子炉の暴走を止めに行きます。
その所長にSEEDの女隊長は
「原子炉はリスクが大きすぎるわ。それに建設コストや核廃棄物の保管を含めればほとんど採算は取れない。現に欧米では原発の建設を中止したり廃止したりしている国が」
と今週のお説教タイム。

アルジュナでは、毎週、登場人物によるエコ説教があり、シュールギャグとして楽しめます。

説教された所長は
「君に言われなくても分かってる」

意外と所長、原発推進派じゃないんだ。

そして青い光を放つ原子炉・・・

まあ、本来ならこれで西日本は壊滅ですが、これはアニメ、クリスの活躍で、なんとか最悪の事態は回避されます。
主人公の樹奈は、まったく役に立ちませんでした。

怒ったクリスは、樹奈に「お前は穢れている」「穢れを払え」と言って、樹奈を日本アルプスに捨てて帰ります。

そして次のエピソード、自然農、ようするに農地を耕さず、農薬も肥料も与えない、雑草と虫が育つに任せる農法をやっている仙人みたいな爺さんに樹奈は拾われ、近代農法の闇を学びます。

その後も、Mのマークが印象的なハンバーガーをめぐる、成長促進剤や保存料たっぷりの加工食品の闇とか、詰め込み教育の害、遺伝子操作の話を通じて、樹奈は地球の危機に目覚めていくのです。


この「地球少女アルジェナ」、2001年の放送当時には「なんじゃこれ」と思い、一周回ってシュールギャグかとも思いましたが、3・11を経験し、僕の中では再評価です。

自然農も「さすがに趣味の世界だよ」と思っていましたが、ESGを調べていくと化学肥料を使わず、農地を耕さない「リジェネラティブ農業」は、今日ではリアリティがあると知り、驚きました。

こうしたエコ話に加え、背景にあるヒンドゥー教サーンキヤ哲学(みんな大好きヨガの理論面ね)も今の時代に合っている気がします。
まあ、河森さんなのでサーンキヤ哲学そのものというより華厳っぽいと思いましたけど。

そういうわけで、エコとかサスティナを考える人は、ぜひ見てください。

2020年9月 3日 (木)

虚構推理【アニメレビュー】

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今日のアニメレビューは『虚構推理』、作家の夢である講談社文芸部から出ているミステリー小説を原作にしたアニメです。(いいなぁ、講談社文芸部)

推理とあるので、探偵ものですが、特徴は「真実を探求しない」ということにあります。
通常の推理小説は、科学的手法やコロンボのような尋問術を通じて、真犯人という犯罪の真実を暴く知的ゲームにカタルシスがあるのですが、本作は真実には無頓着です。

では、本作の知性とカタルシスは、どこにあるかというと「虚構」の構築にあります。

本作では、主人公の岩永琴子(大学生)が「もっともらしい嘘」を紡いで、相手を丸め込むことができたら事件が解決するという構造を持っています。

琴子は幼少のみぎりに妖怪に誘拐され、妖怪の世界の知恵の神に祭り上げられました。
妖怪世界で起きる事件の多くは、所轄の妖怪や神様が納得して心が落ち着けば解決するので、琴子の役割は、不安がっている妖怪や神様のわだかまりを口八丁で丸め込み、動揺を抑えることにあります。

着眼点にオリジナリティがあると思います。

さて、本アニメのストーリーは、この琴子が「鋼人七瀬」と呼ばれる怪異を消滅させる話になります。
ネットのうわさ話、つまり集合的無意識のようなもので力を得、実体化した、本来は存在しない妖怪である鋼人七瀬を消滅させるために、ネットでのレスバトル(ネットの掲示板やTwitterなどの議論)で、鋼人七瀬は存在しないというコンセンサスを作り出せれば琴子の勝ちです。


とはいえ、ネットの集合無意識が実体化するというのは、リアリティがありません。
そこで、これを解決するために、いろいろな仕掛けをしているのは面白いです。


まずは、主人公が押しかけ女房的にお付き合いしている本作のヒーロー桜川九郎の超能力を活用します。

九郎の一族には、件(クダン)という妖怪と人魚の肉が伝えられています。
件というのは、人間の顔をした牛の妖怪で、死ぬ間際に予言をするという妖怪です。
予言をすると死ぬので、予言一回分の命なのですが、この肉と不老不死をもたらす人魚の肉を混ぜて食べることで、予言して死んでも復活する無限予言マシーンになることができるという設定です。(ただし多くの人は拒絶反応で食べた直後に死ぬ)

ここで、作者はもう一つ仕掛けをします。
予言の意味を、未来を見る力ではなく、未来の可能性の中で、自分に都合のいい未来をつかみ取る能力とズラすのです。
これで、九郎のような件・人魚ハイブリッドは、未来の可能性を操作し続けることで、存在しない妖怪が現れるという、極めて可能性の低い未来を作り出すことができる、としたわけです。

なかなか、うまい設定構築ですね。

本作は、九郎の一族で九郎のライバルにあたる人物が、ネットの集合無意識のエネルギーを利用しながら、件・人魚ハイブリッド能力で鋼人七瀬を生み出したことに対して、琴子がネットのレスバトルで集合無意識のエネルギーを減少させて、九郎の件・人魚ハイブリッド能力を勝たせるというバディものバトルになっています。

こうした理詰めの設定構築力が本作の魅力ですね。。

琴子の設定も凝っていて、彼女は幼少時に妖怪に誘拐されて知恵の神にされたわけですが、その時に隻眼隻足に改造されています。片目と片足を取られているのですね。
片足・片目で立つ姿は、唐傘お化けを思わせます。
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これは、人外の能力を得るために犠牲を払ったという意味もありますが、もともとは古事記に出てくる知恵の神「久延毘古」(くえびこ)をイメージしたものでしょう。
簡単にいえば案山子の神様です。
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古事記では、大国主のところに小人の神が来るけども、その名がわからない大国主が、配下(?)の神に尋ねると「久延毘古なら、知ってるかも」と答えます。
大国主が久延毘古を呼び出しますが、やってきません。
なんで来ないかというと、久延毘古は案山子なので歩けないからです。
大国主が久延毘古のところに行き尋ねると、小人の神は少彦名神だと教えてくれます。
この故事から久延毘古は知恵の神ということになったわけです。

こうした設定の濃密さが本作の魅力ですが、実は私は、あまり乗れませんでした。
知恵を使って真実ではなく虚構を作るミステリーという着眼点は面白いのですが、「嘘でいいなら、何でもありだよな」と思ってしまうからです。

あとアニメは小説のように内心の葛藤など心理描写が薄くなるので、琴子が知恵の神というほど知恵があるように見えないのも惜しいところです。

琴子と九郎と九郎の過去の女たちの型にはまらない関係性など物語としての魅力はあふれているので惜しいところです。

本作のランクとしては
・90点:人類はみな見るべき
・80点:この作品が生まれた時代に生まれて幸福
・70点:アニメファンなら当然の教養としてみるべき
・60点:十分楽しめる
・50点:お好きなら見ても損はない
・40点:ファン向け
・30点:作りに難あり
・20点:お時間が惜しいですよ
・10点:見ることで支障が生じます
・10点以下:存在が社会に害を与えます

のうちの「60点:十分楽しめる」とさせていただきたいと思います。

 

2020年8月28日 (金)

まちカドまぞく【アニメレビュー】

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さて、今日のアニメレビューは、第二期の制作も決まった『まちカドまぞく』です。

ちょうど一年前の19年7月からの放映です。
ジャンルは、魔法少女ものですが、特徴としては悪役である魔族の少女を主人公にしたということです。

というと、バットマンの世界を悪役ジョーカーから描いた『ジョーカー』のようなハードな作品をイメージしかねませんが、かなり緩いコメディになっています。

ある日、夢のお告げで、自分が魔族の血を引いていると知らされ、魔族として覚醒した女子高生、吉田優子(よしだゆうこ)は、一族にかかった呪いを解くために、魔法少女を探し出し、倒し、その生き血を魔族の祖先の霊が宿る像に捧げなければいけないことになります。

歴代の魔族が敗北を続けたせいで「吉田家の使える生活費は月4万円まで」という呪いがかかっているのです。
なお、医療費・教育費・暖房費は、ある程度融通が利く呪いになっています。

優子は、魔族としては「シャドウミストレス優子」と名乗っているのですが、周囲からはシャミ子と呼ばれています。

そんなシャミ子の同級生、千代田桃(ちよだ もも)が魔法少女と判明し、シャミ子は挑みますが、シャミ子は、生まれついての虚弱体質で、相手にまったくダメージを与えられず、敗退。
これで勝ったと思うなよ~」と捨て台詞を残して逃げます。

桃も積極的に魔族をせん滅することを考えておらず、むしろシャミ子と友達になりたいと友好的に接します。
シャミ子が、何度となく桃に勝負を挑みますが、そのたびに口八丁でうやむやにします。
知能の面でも残念なシャミ子が、桃に、いいように言いくるめられるのも楽しい見どころです。


さて、本作、近年のアニメには珍しい二期制作が行われるほどのヒット作なのですが、その最大の要因は、根底に流れる利他精神に基づく優しい世界観でしょう。


桃が、自分以外のやる気満々な魔法少女にシャミ子が狩られないよう、トレーニングに付き合い、魔力のビーム技を教えたとき、自分の心からの願いを呪文にしろと言われたシャミ子は、世界を征服したいでもなく「みんなが仲良くなりますように」と叫びます。

第一期では、そこまで話は進みませんが、自分の出生の秘密を知り、自分が多くの人の善意で命をつないでいることを知るシャミ子は、自分の魔族としての目標を、自分を生かしてくれた人が作った「多魔市」(多摩市というより東村山市のイメージ)を守ることに定めます。

「多魔市」は、魔族と人と魔法少女の共存を望む人物が作り上げ、その人は死産同然のシャミ子の命を救うため自分を犠牲にして消えてしまったのです。

一期の最終回で、行方不明のシャミ子の父が、難病のシャミ子に残したメッセージがナレーションとして語られますが、その内容は「がんばれ優子。優しい、強い魔族になるんだ」というものでした。
魔力とか体力とか戦闘力ではなく、優しさこそが強さになるという作品のメッセージが伝わる、よい演出でした。

一見するとただの萌えアニメに見える中で根底に流れる思想性の高さが、本作を人気作にもち上げたのだろうと思います。

特に凝った作りのお話ではありませんが、この機会にぜひ見てもらいたいと思います。

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